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入院中2〜3回は、母に色々報告したり用事があったりで電話をかけたりして、少しだけ娘と電話口で話す機会があったのだけど(ほぼ会話になってなかった!笑)それ以外はほとんどメールで済ませていたので娘との接触はほとんどなし。
最初の2〜3日は寂しくて娘を思うとウルウルしてしまったりもしたのだけど、母からは「夜も泣かずにいい子にしてる」と聞いていたので私も頑張らなくては!と我慢していました。
姉が2人目の出産のため、同じように上の子が一人でうちの実家に預けられた時には、最初の2〜3日は夜寝る時に「ママー」って泣いたとか、姉が帰って来た時には泣いて怒ってなかなか寄って行かなかったとか、そんな話しも聞いていたので、自分の娘が夜泣かずに寝たことを聞いた時は正直少し驚きました。
出産はせいぜい5〜6日。だけど今回は2週間・・・だから尚更久々に会った時にどんな反応をするのか想像も出来ませんでした。
私が入院してすぐの週末、旦那だけ私の実家に1泊しに行ったのですが、その時は「パパー」って抱きついてきたとのことで、旦那の予想はそれと「同じ」であると自信満々でした。
しかし・・・
いざ2週間ぶりに私の姿を見た娘は、ものすごく驚いたような顔をして、でもなんだかちょっと怒っていて、どんなに話しかけても答えることもなく、目も合わせようとしませんでした。
一言で言うなら「無視」(笑)
それでも「抱っこ?」って手を出すとすぐに手を出してきた。
私に抱っこされたまま、時々私の顔を見て、私が目を合わせようとするとそらす、みたいな(笑)
娘の好きなジュースを持って行って「これ飲む?」と聞いても一切答えず!
他のことをしながら時間が経って、ようやく虫の鳴くような小さな声が出るまで40〜50分。
元通りに笑顔で接してくれるまで約1時間かかりました。
病院にいる私の姿を見ていたとはいえ、まだまだ状況を理解出来る年齢ではないし「もしかしたらママはもう帰ってこないのかもしれない」って考えてたのかもしれない。
だから私の顔を見た時は、本当に驚いた表情をしてたんだよね。
まるでもう2度と見ることがないと思っていたものを見たかのような。
あんなに小さな体と心でどんなことを思いながら毎日過ごしていたのだろう・・・
そう思うと尚更娘をいとおしく感じました。
退院してほぼ1週間ほど経った今はすっかり安心しきったようで、時々甘えて泣いたりもするし、ハイテンションで騒ぎまくったりと以前と同じように元気に遊んでいます。
まだまだ立ってる時に抱っこできないなど制限もあるけれど、座っていっぱい抱っこしてるし、実家で甘えられるうちは娘と一緒の時間をのんびり楽しもうと思います。
早いものでもうすぐ今年も終わり。
今でも妊婦でいられることを当たり前と思わず、今回の自分には安定期はないくらいの気持ちで毎日を大事に過ごしていきたいと思います。
最初の2〜3日は寂しくて娘を思うとウルウルしてしまったりもしたのだけど、母からは「夜も泣かずにいい子にしてる」と聞いていたので私も頑張らなくては!と我慢していました。
姉が2人目の出産のため、同じように上の子が一人でうちの実家に預けられた時には、最初の2〜3日は夜寝る時に「ママー」って泣いたとか、姉が帰って来た時には泣いて怒ってなかなか寄って行かなかったとか、そんな話しも聞いていたので、自分の娘が夜泣かずに寝たことを聞いた時は正直少し驚きました。
出産はせいぜい5〜6日。だけど今回は2週間・・・だから尚更久々に会った時にどんな反応をするのか想像も出来ませんでした。
私が入院してすぐの週末、旦那だけ私の実家に1泊しに行ったのですが、その時は「パパー」って抱きついてきたとのことで、旦那の予想はそれと「同じ」であると自信満々でした。
しかし・・・
いざ2週間ぶりに私の姿を見た娘は、ものすごく驚いたような顔をして、でもなんだかちょっと怒っていて、どんなに話しかけても答えることもなく、目も合わせようとしませんでした。
一言で言うなら「無視」(笑)
それでも「抱っこ?」って手を出すとすぐに手を出してきた。
私に抱っこされたまま、時々私の顔を見て、私が目を合わせようとするとそらす、みたいな(笑)
娘の好きなジュースを持って行って「これ飲む?」と聞いても一切答えず!
他のことをしながら時間が経って、ようやく虫の鳴くような小さな声が出るまで40〜50分。
元通りに笑顔で接してくれるまで約1時間かかりました。
病院にいる私の姿を見ていたとはいえ、まだまだ状況を理解出来る年齢ではないし「もしかしたらママはもう帰ってこないのかもしれない」って考えてたのかもしれない。
だから私の顔を見た時は、本当に驚いた表情をしてたんだよね。
まるでもう2度と見ることがないと思っていたものを見たかのような。
あんなに小さな体と心でどんなことを思いながら毎日過ごしていたのだろう・・・
そう思うと尚更娘をいとおしく感じました。
退院してほぼ1週間ほど経った今はすっかり安心しきったようで、時々甘えて泣いたりもするし、ハイテンションで騒ぎまくったりと以前と同じように元気に遊んでいます。
まだまだ立ってる時に抱っこできないなど制限もあるけれど、座っていっぱい抱っこしてるし、実家で甘えられるうちは娘と一緒の時間をのんびり楽しもうと思います。
早いものでもうすぐ今年も終わり。
今でも妊婦でいられることを当たり前と思わず、今回の自分には安定期はないくらいの気持ちで毎日を大事に過ごしていきたいと思います。
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15w0d 手術当日。
事前の説明では腰からの麻酔のため、手術中は意識もあり話しをしたりもできる・・・
そう言われていたのですが、病室のベッドで筋肉注射を打たれた時点で既に意識は途切れ途切れで、手術室の眩しいライトや先生が登場した場面などの記憶はうっすらあるものの、気がついたらあっという間に病室に戻っていました。
終了時間はちょうどお昼時。
朝から食事抜きだったので、既にお腹はグーグー・・・
みんなの食事が運ばれて来るにおい・・・とにかく耐えるしかありませんでした。
簡単な手術ではあったものの、術後はおしっこの管を入れられベッドに寝たきり。歩くことを禁じられました。
ようやくありつけた夕飯もリクライニングを起こした状態で、歯磨きもベッドの上で済ませて終了です。
時々看護師さんが来て出血の状態を確認していく。
寝たきりだと腰が痛くなり、動きたくて動きたくてうずうずしながら朝までやっぱり寝られなかった。
これまでの点滴は抗生剤と止血剤だったけれど、手術日からは抗生剤とはり止めに変わっていました。
抗生剤は手術日含め4日間、はり止めは5日間続きました。
手術から3日後の早朝、3回目の血液検査がありました。
炎症反応の数値は看護師さんの予告通り前回より下がってはいたものの、まだOKをもらえる数値ではなかった様子・・・
手術してるからどっちみち退院は出来ないのだけど、なかなか下がらない数値にさすがに不安になりました。
それでもなんでも、今私に出来ることはとにかくおとなしくしてること。ただそれだけ。
そして全ての点滴は手術から4日後の22日で終了となりました。
23日からは飲み薬に変更に。
先生からはようやくこの日、明日の検査次第で退院するか?というお話が。
もともと手術を提案されていた時点で「クリスマスくらいには帰れるんじゃないか」と言われていたものの、その後具体的な話しはなかったのでついに来た!という感じ。
そして24日の早朝、3度目の血液検査をした結果、先生のOKをもらえるくらいまで炎症反応は下がっていたそうで、血腫の大きさはそれほど小さくなっていないものの、その後の出血もないことから「自宅で安静に」を条件に退院の許可が下りました!
「クリスマスに帰さないと何か言われそうだしな」と先生。
止血剤とはり止めが退院薬として出され、これはしばらく継続になるみたい。
看護師さんには「退院決まったら出血する人もいる」「次出血したら産まれるまで帰れないよ」など色々脅されもしたけれど、とにかく帰れることが決まりウキウキわくわく。
こうして突然の出血からの入院は無事に2週間で終了となりました。
今まで入院も手術も経験があるけれど、こんなに長く(しかも動き回るなと言われた)入院したのは初めてだったので、とにかく毎日が長くて長くて退屈でした。
2週間ぶりに娘に会える!!
どんな反応するだろうか・・・?
次回は娘との再会について記録に残します。
事前の説明では腰からの麻酔のため、手術中は意識もあり話しをしたりもできる・・・
そう言われていたのですが、病室のベッドで筋肉注射を打たれた時点で既に意識は途切れ途切れで、手術室の眩しいライトや先生が登場した場面などの記憶はうっすらあるものの、気がついたらあっという間に病室に戻っていました。
終了時間はちょうどお昼時。
朝から食事抜きだったので、既にお腹はグーグー・・・
みんなの食事が運ばれて来るにおい・・・とにかく耐えるしかありませんでした。
簡単な手術ではあったものの、術後はおしっこの管を入れられベッドに寝たきり。歩くことを禁じられました。
ようやくありつけた夕飯もリクライニングを起こした状態で、歯磨きもベッドの上で済ませて終了です。
時々看護師さんが来て出血の状態を確認していく。
寝たきりだと腰が痛くなり、動きたくて動きたくてうずうずしながら朝までやっぱり寝られなかった。
これまでの点滴は抗生剤と止血剤だったけれど、手術日からは抗生剤とはり止めに変わっていました。
抗生剤は手術日含め4日間、はり止めは5日間続きました。
手術から3日後の早朝、3回目の血液検査がありました。
炎症反応の数値は看護師さんの予告通り前回より下がってはいたものの、まだOKをもらえる数値ではなかった様子・・・
手術してるからどっちみち退院は出来ないのだけど、なかなか下がらない数値にさすがに不安になりました。
それでもなんでも、今私に出来ることはとにかくおとなしくしてること。ただそれだけ。
そして全ての点滴は手術から4日後の22日で終了となりました。
23日からは飲み薬に変更に。
先生からはようやくこの日、明日の検査次第で退院するか?というお話が。
もともと手術を提案されていた時点で「クリスマスくらいには帰れるんじゃないか」と言われていたものの、その後具体的な話しはなかったのでついに来た!という感じ。
そして24日の早朝、3度目の血液検査をした結果、先生のOKをもらえるくらいまで炎症反応は下がっていたそうで、血腫の大きさはそれほど小さくなっていないものの、その後の出血もないことから「自宅で安静に」を条件に退院の許可が下りました!
「クリスマスに帰さないと何か言われそうだしな」と先生。
止血剤とはり止めが退院薬として出され、これはしばらく継続になるみたい。
看護師さんには「退院決まったら出血する人もいる」「次出血したら産まれるまで帰れないよ」など色々脅されもしたけれど、とにかく帰れることが決まりウキウキわくわく。
こうして突然の出血からの入院は無事に2週間で終了となりました。
今まで入院も手術も経験があるけれど、こんなに長く(しかも動き回るなと言われた)入院したのは初めてだったので、とにかく毎日が長くて長くて退屈でした。
2週間ぶりに娘に会える!!
どんな反応するだろうか・・・?
次回は娘との再会について記録に残します。
15時頃から始まった点滴は、消灯時間を過ぎても続きました。
点滴の棒をガラガラ押しながら何度もトイレに行ったけど、自宅でほとんど出きったのか止血剤のおかげなのか、更なる出血はほとんどなく、トイレットペーパーに少し付いて来る程度になっていました。
ようやく管から解放され、私の病室も消灯されたのだけど、もちろんのんきに寝られるはずもなく・・・
さっきは元気にしてたけど、今この瞬間にも動きを止めてしまっているかもしれない・・・
「死産」という言葉が頭をよぎり、その夜はほとんど眠れないまま長〜〜〜い夜を過ごしました。
翌朝、外来に呼ばれ再度エコーでチェック。
先生の言った通り、昨日の時点では見えなかった出血の跡が黒い影となって姿を現しました。
赤ちゃんは元気に動いていました。
見るなり先生は「これはかなり剥がれたな」
要は、本来ならば子宮の壁にぴったりとくっついているはずの赤ちゃんが入った袋の一部が剥がれてしまったそうです。
原因は解らないのだと教えてくれました。
ただ、細菌によって起こることもある、ということが最近になって解ったらしく、毎日消毒をしてもらいました。
幸いにも胎盤と反対側が剥がれたそうで、もしこれが胎盤側だったら、赤ちゃんは残念なことになっていたであろうという話しもされました。
固まった血液(血腫)は段々吸収されて消えて行くけれど、これだけ大きな血腫なのでかなり時間を要するとのこと。
とにかくこれ以上出血させないように、くれぐれも安静に過ごすように。
このような指示がありました。
後日看護師さんに聞いた話し交えて書きますが、本来このような不正出血(切迫流産)は7週8週くらいの初期の段階がほとんどで、私のように安定期目前で起こることは例としては少ないのだそうです。
先生は「原因不明」と言っていましたが、やはり何か無理をしたりして起こることが多いそうで、そう言われて思い起こすと、2人目だからという油断、平日ほとんど家にこもりっきりの娘をせめて週末は外に出してあげたいという思いなどから、週末はほぼ毎週どこかへ出かけ、つわりで体調が良くないにもかかわらずふらふら歩き回っていたことが原因だったのかもしれません。
今更ながら大反省。
それから毎日抗生剤と止血剤の点滴が続き、安静に過ごす毎日をおくっていました。
入院から5日後に行った血液検査では、入院当日よりも炎症反応の数値が上がっていたそうで、退院のめどはまったく立ちませんでした。
(後日の看護師さん談:炎症反応は、入院当日から2〜3日がおそらくピークで高かったであろう。5日目の数値はこれでも下がってきてるものだったはず。今後も抗生剤の点滴を続ければ、次回はおそらく下がるはず。とのこと)
この血液検査の結果を踏まえ、先生からは子宮の入り口を縛る手術(シロッカー)をしておこうか?という提案がありました。
これは今回の出血に直接効果があるものではなく、絶対にやらなくてはいけないものではないけれど、先のこと(切迫早産など)のリスクを考えるとやっておいた方が安心できる、というものでした。
どうせ入院が長くなるならついでに、っていう思いもあったのかも??
手術自体は5分くらいで終わる簡単なものだということで、安心を買う気持ちで手術を受けることを決めました。
手術は2日後、ちょうど15週に入る日に行うことになりました。
次回に続く
点滴の棒をガラガラ押しながら何度もトイレに行ったけど、自宅でほとんど出きったのか止血剤のおかげなのか、更なる出血はほとんどなく、トイレットペーパーに少し付いて来る程度になっていました。
ようやく管から解放され、私の病室も消灯されたのだけど、もちろんのんきに寝られるはずもなく・・・
さっきは元気にしてたけど、今この瞬間にも動きを止めてしまっているかもしれない・・・
「死産」という言葉が頭をよぎり、その夜はほとんど眠れないまま長〜〜〜い夜を過ごしました。
翌朝、外来に呼ばれ再度エコーでチェック。
先生の言った通り、昨日の時点では見えなかった出血の跡が黒い影となって姿を現しました。
赤ちゃんは元気に動いていました。
見るなり先生は「これはかなり剥がれたな」
要は、本来ならば子宮の壁にぴったりとくっついているはずの赤ちゃんが入った袋の一部が剥がれてしまったそうです。
原因は解らないのだと教えてくれました。
ただ、細菌によって起こることもある、ということが最近になって解ったらしく、毎日消毒をしてもらいました。
幸いにも胎盤と反対側が剥がれたそうで、もしこれが胎盤側だったら、赤ちゃんは残念なことになっていたであろうという話しもされました。
固まった血液(血腫)は段々吸収されて消えて行くけれど、これだけ大きな血腫なのでかなり時間を要するとのこと。
とにかくこれ以上出血させないように、くれぐれも安静に過ごすように。
このような指示がありました。
後日看護師さんに聞いた話し交えて書きますが、本来このような不正出血(切迫流産)は7週8週くらいの初期の段階がほとんどで、私のように安定期目前で起こることは例としては少ないのだそうです。
先生は「原因不明」と言っていましたが、やはり何か無理をしたりして起こることが多いそうで、そう言われて思い起こすと、2人目だからという油断、平日ほとんど家にこもりっきりの娘をせめて週末は外に出してあげたいという思いなどから、週末はほぼ毎週どこかへ出かけ、つわりで体調が良くないにもかかわらずふらふら歩き回っていたことが原因だったのかもしれません。
今更ながら大反省。
それから毎日抗生剤と止血剤の点滴が続き、安静に過ごす毎日をおくっていました。
入院から5日後に行った血液検査では、入院当日よりも炎症反応の数値が上がっていたそうで、退院のめどはまったく立ちませんでした。
(後日の看護師さん談:炎症反応は、入院当日から2〜3日がおそらくピークで高かったであろう。5日目の数値はこれでも下がってきてるものだったはず。今後も抗生剤の点滴を続ければ、次回はおそらく下がるはず。とのこと)
この血液検査の結果を踏まえ、先生からは子宮の入り口を縛る手術(シロッカー)をしておこうか?という提案がありました。
これは今回の出血に直接効果があるものではなく、絶対にやらなくてはいけないものではないけれど、先のこと(切迫早産など)のリスクを考えるとやっておいた方が安心できる、というものでした。
どうせ入院が長くなるならついでに、っていう思いもあったのかも??
手術自体は5分くらいで終わる簡単なものだということで、安心を買う気持ちで手術を受けることを決めました。
手術は2日後、ちょうど15週に入る日に行うことになりました。
次回に続く
14週に入ったその日、いつものように娘と過ごし、そろそろ昼ご飯でも作ろうかとキッチンとリビングをウロウロしていた時・・・
なにかが出た感覚があり、気になってトイレで確認するとおりものシートに真っ赤な鮮血が。
おっ!と思いつつもそれほどの量ではなかったので様子をみようとナプキンに交換し再び昼ご飯の準備のためキッチンへ。
するとその後更に何かが出た感覚があり再びトイレへ。
今度はさっきと違い結構な量が出た感覚。
ドキドキしながら確認するとナプキンには白い部分が一切ないくらい真っ赤になっていた・・・
これはヤバい。
トイレに座って用を足すと溜まった水が真っ赤になるくらい更に出た。
急いで病院に行かなくちゃ・・・
今度は夜用ナプキンに交換しました。
娘も居るしまずは旦那に連絡だ。
こんなに出血するなんて・・・もしかしたらダメかもしれない・・・
そう思うと受話器を持つ手が震えていました。
旦那はすぐに帰ると言ってくれました。
お昼がまだだったので、自分はともかく娘に何か食べさせなくては。
予定を変更し残りご飯をチンしておにぎりを作って旦那が帰ってくるまで食べさせました。
その間私は震えながら病院に電話をかけ出かける準備。
赤ちゃんがダメでも大丈夫でも、もしかすると入院かもしれない・・・そんなことを考えながら。
しばらくして旦那が帰って来たので、娘の食べかけのおにぎりをラップに包み荷物に入れ、これ以上出血しないようにそーっとそーっと家を出ました。
病院に着くと事前に連絡してあったけれど少し待たされました。
待ってる間は無邪気に笑いかけて来る娘にも笑い返してあげることすらできないくらい不安に包まれていました。
ようやく呼ばれ内診台に。
その時に見たナプキンには出血は少しだけ。
でも先生は私の足下に登場するなり「なんだ、すごい出血してるな」と一言。
ヤバい・・・もうダメかもしれない・・・
先生はすぐにエコーで見てくれました。
半分覚悟していましたが、赤ちゃんの姿が映し出され、元気に動いてくれていました。
心音もしっかりしていました。
先生はエコーを慎重に、丁寧に時間をかけて見ていました。
少し安心した反面、これだけの出血の直後だし、今は元気だけどこの後に悪いことが起こるのではないか・・・
そう思うと不安な気持ちは拭えません。
先生は「出血したばかりだから今の時点でエコーではどこからの出血か解らない。このまま入院した方がいいね」とのこと。
旦那と一緒に来ていることを伝えると「一緒にお話聞いてもらった方が良いね」とのことで、娘と3人で診察室に入り先生の話しを聞くことに。
エコーでは水分(羊水)などは黒く見え、赤ちゃんや胎盤などの物体?は白く写ることから、水分である血液も今の時点では黒くて見えず、どこからの出血か解らないこと。
赤ちゃんは元気なのでそこからの出血ではなさそうだ。
おそらく明日になれば出血が固まるのでエコーで白く写りはっきりするはず。
今日はこのまま入院し、点滴をした方が良い。
以上を踏まえ、荷物をまとめに一度帰りたい気持ちもあったけど(実は病棟の看護師さんに諭されて納得した)それは旦那に任せてそのまま入院することに決めました。
私の実家に連絡すると、娘を迎えに行くと言ってくれたので素直に甘えることに。
旦那は私と娘の2人分の荷造りをする為に自宅に帰って行きました。
私はすぐに病衣に着替え、抗生剤と止血剤の点滴がスタート。
数時間後、旦那、娘、そして両親が病室を訪れ少し会話を交わしました。
急なハプニングで娘としばらく離れることになってしまった・・・
娘も幼いなりに状況を少し理解しているような感じで、泣きもせず、じじばばに連れられて少し不思議そうな顔をしながら「ばいばい」と手を振って病室から去って行きました。
ここから長〜い長〜い入院生活が始まったのでした・・・
長くなりそうな出来事なのでちょっと小分けにUPします。
先にお知らせしておきますが現在は無事退院しています。
あまりに大量の出血だったため、未だに外出禁止(大げさ!)の安静指導ですが、赤ちゃんも元気で16週(5ヶ月)に入りました。
大事なブロ友さんの採卵周期がずっと気になっていたのだけど、足跡残せなくってごめんね。
次回に続く。
なにかが出た感覚があり、気になってトイレで確認するとおりものシートに真っ赤な鮮血が。
おっ!と思いつつもそれほどの量ではなかったので様子をみようとナプキンに交換し再び昼ご飯の準備のためキッチンへ。
するとその後更に何かが出た感覚があり再びトイレへ。
今度はさっきと違い結構な量が出た感覚。
ドキドキしながら確認するとナプキンには白い部分が一切ないくらい真っ赤になっていた・・・
これはヤバい。
トイレに座って用を足すと溜まった水が真っ赤になるくらい更に出た。
急いで病院に行かなくちゃ・・・
今度は夜用ナプキンに交換しました。
娘も居るしまずは旦那に連絡だ。
こんなに出血するなんて・・・もしかしたらダメかもしれない・・・
そう思うと受話器を持つ手が震えていました。
旦那はすぐに帰ると言ってくれました。
お昼がまだだったので、自分はともかく娘に何か食べさせなくては。
予定を変更し残りご飯をチンしておにぎりを作って旦那が帰ってくるまで食べさせました。
その間私は震えながら病院に電話をかけ出かける準備。
赤ちゃんがダメでも大丈夫でも、もしかすると入院かもしれない・・・そんなことを考えながら。
しばらくして旦那が帰って来たので、娘の食べかけのおにぎりをラップに包み荷物に入れ、これ以上出血しないようにそーっとそーっと家を出ました。
病院に着くと事前に連絡してあったけれど少し待たされました。
待ってる間は無邪気に笑いかけて来る娘にも笑い返してあげることすらできないくらい不安に包まれていました。
ようやく呼ばれ内診台に。
その時に見たナプキンには出血は少しだけ。
でも先生は私の足下に登場するなり「なんだ、すごい出血してるな」と一言。
ヤバい・・・もうダメかもしれない・・・
先生はすぐにエコーで見てくれました。
半分覚悟していましたが、赤ちゃんの姿が映し出され、元気に動いてくれていました。
心音もしっかりしていました。
先生はエコーを慎重に、丁寧に時間をかけて見ていました。
少し安心した反面、これだけの出血の直後だし、今は元気だけどこの後に悪いことが起こるのではないか・・・
そう思うと不安な気持ちは拭えません。
先生は「出血したばかりだから今の時点でエコーではどこからの出血か解らない。このまま入院した方がいいね」とのこと。
旦那と一緒に来ていることを伝えると「一緒にお話聞いてもらった方が良いね」とのことで、娘と3人で診察室に入り先生の話しを聞くことに。
エコーでは水分(羊水)などは黒く見え、赤ちゃんや胎盤などの物体?は白く写ることから、水分である血液も今の時点では黒くて見えず、どこからの出血か解らないこと。
赤ちゃんは元気なのでそこからの出血ではなさそうだ。
おそらく明日になれば出血が固まるのでエコーで白く写りはっきりするはず。
今日はこのまま入院し、点滴をした方が良い。
以上を踏まえ、荷物をまとめに一度帰りたい気持ちもあったけど(実は病棟の看護師さんに諭されて納得した)それは旦那に任せてそのまま入院することに決めました。
私の実家に連絡すると、娘を迎えに行くと言ってくれたので素直に甘えることに。
旦那は私と娘の2人分の荷造りをする為に自宅に帰って行きました。
私はすぐに病衣に着替え、抗生剤と止血剤の点滴がスタート。
数時間後、旦那、娘、そして両親が病室を訪れ少し会話を交わしました。
急なハプニングで娘としばらく離れることになってしまった・・・
娘も幼いなりに状況を少し理解しているような感じで、泣きもせず、じじばばに連れられて少し不思議そうな顔をしながら「ばいばい」と手を振って病室から去って行きました。
ここから長〜い長〜い入院生活が始まったのでした・・・
長くなりそうな出来事なのでちょっと小分けにUPします。
先にお知らせしておきますが現在は無事退院しています。
あまりに大量の出血だったため、未だに外出禁止(大げさ!)の安静指導ですが、赤ちゃんも元気で16週(5ヶ月)に入りました。
大事なブロ友さんの採卵周期がずっと気になっていたのだけど、足跡残せなくってごめんね。
次回に続く。